
前の記録で見たように、大麻は数千年にわたって薬用・繊維用として記録されてきました。それが20世紀のある時点で、世界の大半の国で違法になります。転換点は1937年、アメリカのマリファナ課税法(Marihuana Tax Act)です。
この法律の成立過程は、議会の公聴会記録、当時の新聞、後年の歴史研究によって、かなり詳しく追うことができます。そして追えば追うほど、そこに医学的・科学的な根拠がほとんど提示されていないことが分かります。代わりに見えてくるのは、産業の利害、新聞のキャンペーン、そして一人の官僚の執念です。
この記録は、陰謀を主張するものではありません。公開されている一次資料と、標準的な歴史研究が示している経緯を、順に並べたものです。
19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、アメリカでは大麻のチンキ(アルコール抽出液)が薬局で普通に売られていました。パーク・デイビス、イーライリリーといった現在も続く製薬会社がカタログに載せ、アメリカ薬局方(公式の医薬品規格集)にも1850年から1942年まで収載されています。
当時の呼び名は「カンナビス」でした。「マリファナ」というスペイン語由来の呼び名は、1910年代のメキシコ革命で流入した移民が使っていた言葉で、多くのアメリカ人は、薬局のカンナビスと移民が吸っているマリファナが同じ植物だと認識していませんでした。この名前の分断が、後に大きな意味を持ちます。
1930年、財務省の下に連邦麻薬局(FBN)が新設され、ハリー・アンスリンガーが初代局長に就任します。同じ年、禁酒法の執行が失敗に向かいつつあり、酒類取締りに携わっていた人員と予算の行き先が問題になっていました。
アンスリンガーは当初、大麻を連邦の取締り対象にすることに消極的だったと記録されています。植物として広く自生しており、取締りが現実的でないと見ていたためです。それが1934年頃から態度を変え、大麻を「殺人を引き起こす麻薬」として全国的に訴える活動を始めます。
アンスリンガーの活動を全国に広めたのが、新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストの新聞網でした。ハースト系の新聞は、大麻を吸ったメキシコ人や黒人が凶悪犯罪を犯したという記事を繰り返し掲載し、その際に一貫して「マリファナ」という語を使いました。
薬局の「カンナビス」ではなく、外国語の「マリファナ」。この言葉の選択によって、読者は自分たちが知っている薬と、記事の中の「恐ろしい麻薬」を結びつけずに済みました。医師会や製薬会社が反応するのが遅れた理由の一つは、ここにあります。
ハーストが製紙業に巨額を投資していたこと、ヘンプ(繊維用大麻)が紙の原料として競合する可能性があったことは事実として記録されています。ただし、ハーストのキャンペーンの動機が製紙業の利害だったと直接示す資料は確認されておらず、この点は歴史研究の中でも「状況証拠にとどまる」と扱われています。
1935年、デュポン社がナイロンの合成に成功し、翌年に特許を取得します。ナイロンは繊維市場でヘンプや麻と競合する素材でした。また同時期、ヘンプの茎から機械で繊維を取り出す「デコーティケーター」という装置が改良され、ヘンプの産業利用が再び注目を集めていました。
Popular Mechanics誌は1938年2月号で「新しい10億ドルの作物」と題した特集を組み、この装置によってヘンプが製紙・繊維の主要原料になると予測しています。この記事は、課税法が成立した1937年8月の直前に入稿されており、産業界の一部が大麻に将来性を見ていた時期と、規制が決まった時期が重なっていたことを示しています。
デュポンの財務を担っていたメロン財閥のアンドリュー・メロンが、当時の財務長官であり、アンスリンガーの妻の親族でもあったことも、しばしば指摘されます。これらの人的・資本的な関係は事実ですが、それが立法を直接動かしたという証拠はなく、歴史研究では「利害の重なりが存在した」という水準で記述されています。
課税法の下院公聴会は、1937年4月から5月にかけて開かれました。記録に残る審議時間はごく短く、証言者の大半は連邦麻薬局側でした。アンスリンガーが提出した「大麻による凶悪犯罪」の事例は、新聞記事を切り抜いたものが中心で、医学的な調査に基づくものではありませんでした。
反対の立場から証言したのは、アメリカ医師会(AMA)の法律顧問ウィリアム・ウッドワード博士です。ウッドワードは、医師会が法案について事前に相談を受けていないこと、「マリファナ」が薬局のカンナビスと同じ植物であることを多くの医師が知らされていないこと、そして規制が将来の医療研究を妨げることを指摘しました。
議事録によれば、ウッドワードの証言は委員会から歓迎されず、審議はそのまま進みました。法案は1937年8月に成立し、大麻の取扱いに高額の課税と煩雑な登録を課すことで、事実上の禁止を実現します。
ニューヨーク市長フィオレロ・ラガーディアは、市内での大麻使用の実態を調べるため、ニューヨーク医学アカデミーに調査を委託します。5年をかけた調査の結果は1944年に公表され、「習慣形成性は低い」「暴力犯罪との因果関係は認められない」「若者を凶暴化させるという主張は根拠がない」と結論づけました。
アンスリンガーはこの報告書を公然と批判し、連邦麻薬局はその後も報告書の内容を認めませんでした。科学的な調査結果と、行政の姿勢が正面から食い違った、記録に残る最初の例です。
アメリカ連邦政府は現在、規制物質法の下で大麻を「スケジュールI」、すなわち「医療用途がなく乱用の危険が高い」分類に置いています。
一方で、2003年に米国保健福祉省(HHS)が取得した特許番号6,630,507は、「抗酸化剤および神経保護剤としてのカンナビノイド」を対象としています。医療用途がないと分類している政府機関と、医療的用途で特許を保有している政府機関が、同じ政府の中に存在している状態です。2024年には、この分類をより緩やかな「スケジュールIII」に変更する手続きが進められましたが、本記録の執筆時点で最終決定には至っていません。
ハーバード医学大学院のレスター・グリンスプーン名誉教授は、1971年の著書で、大麻の禁止が「科学的・医学的判断ではなく、人種差別、経済的利権、政治的恐怖に基づいた決定だった」と評しました。この評価は、その後の歴史研究の中で概ね支持されています。
ただし、この記録が示せるのは「禁止に科学的根拠が乏しかった」ということまでです。それは「だから安全だ」という意味ではありませんし、現在の各国の法律を変えるものでもありません。日本の規制については、成分ごとの現在の状況を「規制の現在地」の記録にまとめています。
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