ANCIENT RECORDS

大麻という植物と人間の関わりは、文字が生まれた頃にはすでに始まっていました。現存する最古級の医学文書に記載があり、古代の墓から実物が出土し、歴史家が儀礼の様子を書き残しています。しかも記録は一つの地域に偏っていません。中国、エジプト、中央アジアの草原、インド。互いに交流の薄かった文明が、それぞれ別々にこの植物を記録に残しています。
この記録では、学術的に確認されている文献と発掘の成果だけを、年代順にたどります。伝説や推測は入れません。それでも十分に長い道のりです。
大麻(学名 Cannabis sativa)の原産地は中央アジアからヒマラヤ山麓にかけてと考えられています。2019年に発表された花粉の分析では、この植物がおよそ2800万年前にチベット高原の北東部で他の植物から分岐したという推定が示されました。人類がこの植物に出会ったのは、それよりずっと後です。
人が最初に利用したのは、おそらく繊維と種子でした。茎から取れる繊維は縄や布になり、種子は油と食料になります。日本の縄文時代の遺跡からも大麻の繊維や種子が出土していて、これは世界的に見ても古い利用例の一つです。薬用・儀礼用としての記録は、そのあとに文字とともに現れます。
中国最古の薬学書『神農本草経』は、365種の薬物を「上薬・中薬・下薬」の三段階に分類しています。上薬は「命を養う」もので長期間服用できるとされ、下薬は「病を治す」もので長く使ってはいけないとされる分類です。大麻(麻)は、この上薬に置かれています。
同書には「久服すれば神明に通ず」、長く服用すれば神明に通じる、という記述があります。神明とは、この文脈では宇宙の理(ことわり)や精神の澄んだ状態を指す語です。医学書の中に、身体の効能とは別の次元の記述が同居している点が、後世の研究者の関心を引いてきました。
なお『神農本草経』は伝説の帝王・神農に仮託された書で、実際に編纂されたのは後漢の頃(紀元1〜2世紀)と考えられています。ただし内容はそれ以前から口伝・写本で受け継がれてきた知識の集成とされ、「紀元前2700年」は神農の時代とされる年代です。
1872年にドイツのエジプト学者ゲオルク・エーベルスが入手したこのパピルスは、全長約20メートル、800を超える処方を収めた、現存する世界最古級の医学文書です。その中に、大麻を用いた処方が複数記載されています。
記載されているのは主に外用と、婦人科領域での使用です。当時の処方は蜂蜜や油と混ぜて用いる形式で、現代の薬学から見て効果を評価できるものではありませんが、少なくとも3500年前のエジプトで、この植物が薬として分類されていたことは確かです。
また、いくつかのミイラや副葬品から大麻の花粉や成分の残留が検出されたという報告があり、ファラオの時代にこの植物が権力の中枢のそばにあったことを示しています。ただし残留物の検出については分析手法の限界もあり、研究者の間で評価は一様ではありません。
「歴史の父」と呼ばれるギリシャの歴史家ヘロドトスは、『歴史』第4巻で、黒海北岸の草原に住む騎馬民族スキタイ人の葬礼を記しています。
その記述によれば、スキタイ人は葬儀の後、フェルトの幕で囲った小屋の中に焼けた石を置き、そこに大麻の種子を投げ入れて立ち上る蒸気を浴び、大声をあげて喜んだ、とあります。ギリシャ人の蒸し風呂よりもはるかに強い、とヘロドトスは書き添えています。
長いあいだ、これは伝聞をもとにした誇張ではないかとも言われてきました。ところが2009年、ロシア・シベリア南部のパジリク文化の墓から、大麻の種子が入った小型の青銅製の容器と、それを覆っていたフェルトの幕の痕跡が発見されます。紀元前3世紀頃のスキタイ系遊牧民の墓で、ヘロドトスの記述から約200年後、地理的にも数千キロ離れた場所です。文献と考古学が、時代と場所を越えて一致した例として、この発見はよく引用されます。
インド最古の文献群であるヴェーダのうち、『アタルヴァ・ヴェーダ』(紀元前1500〜1000年頃)には、大麻(bhang)が「不安から解放する五つの植物」の一つとして挙げられています。
『リグ・ヴェーダ』には「ソーマ」と呼ばれる神聖な飲料が繰り返し登場し、その正体については大麻説、キノコ説、麻黄説など諸説あり、確定していません。ソーマの正体を大麻と断定する資料は存在しないため、ここでは「候補の一つとして議論されてきた」という記述にとどめます。
一方、伝統医学アーユルヴェーダにおいて大麻が「ヴィジャヤ(勝利)」の名で薬物として体系的に扱われてきたことは、文献上で確認できます。インドではこの伝統が現代まで途切れず続いていて、宗教的な祭礼で大麻を用いた飲料が公認されている地域もあります。
これらの文明は、ある時期に薬用・儀礼用の知識を蓄え、記録に残しました。その後、王朝の交代や宗教の変化、植民地化の中で、多くの知識が公式の記録から消えていきます。19世紀にヨーロッパの医師がインドで大麻の医療利用を「発見」し西洋医学に持ち込んだとき、彼らが目にしたのは、何千年も前から続いていた実践でした。
神経科学者で民族植物学者のイーサン・ルッソは、この植物の歴史について「人類の歴史と切り離せない」と述べています。それは効能の主張ではなく、これほど多くの文明が、互いに知らないまま、同じ植物を記録に残してきたという事実への評価です。
当店のリキッドに使っているテルペンは、Trainwreck、Gushers、Kremlin という現代のストレイン(品種)の香りを再現したものです。品種という考え方は、この記録で扱った古代にはありませんでした。人が植物の香りや性質を選び分け、名前をつけて育て分けるようになったのは、ずっと後の時代です。その経緯は「テルペン3種の由来」の記録に書いています。古代の記録が「植物と人の出会い」なら、ストレインの話は「人が植物を選び始めた」あとの話です。



